kai-awase —sotoba-komachi | 貝合はせ 卒塔婆小町

2012 | Sculpture

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小学生の後半から大学進学まで暮らした四日市のまちに唯一残された自然海岸には、人々が漁り、身をとって捨てた貝殻がいたるところに小山をなしていた。シュルレアリストを気取っていた高校時代、そこは気に入りの場所だった。その山のような貝殻を、何らかの方法で運動させるオブジェをいつか作ろうと夢想していた。

 

折口信夫が、「在アる」ということの背後にある、潜在的な空間について書いていた。「かひ」─卵、外界から見ることのできない密閉された空間─に霊魂が宿り、成長し、機熟して殻を破り、この世のものとして初めて姿を露アラハす。それが古代人の思想だった。そのような空間はいたるところにある。私のしたことはそれを飾り立て、誰の目にもわかりやすく指し示したことだ。そしてそのような空間(と、そこに宿るであろうモノ)を人為的に操作する行為をフィクショナルな機械に表現した。元来「蝶番」を持ち、自然物でありながら道具のようなハマグリの貝殻の対に人工筋肉を装着し、肉感的で微細な開閉をさせる機械を制作したのだ。

とにかく、当時(そして今でも)気になってならなかったのは、貝殻が開いて内側が見えることと、閉じて見えなくなること、それだけだった。明滅するもの。いないいないばあ機械。「ないもの」とはどこにあるのか?以後私が作品に言語音を用いたり、粒子的な音響を使用したりすることの起源はここにある。言語を使用する私たちとは何者なのか?

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