ぞうが死んだ The Elephant Died

Director: Aya Kawazoe 川添彩

2012, 2021/Japan/super8/color/8min

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2月の末に川添さんから電話がかかってきて、2012年に彼女が作った8ミリの作品に音をつけてほしいということだった。川添さんは、今年4月にイメージフォーラムでする自分の特集上映で、これまでの作品を「葬り」たい、というようなことを言った。それで、一種の爆発的な死化粧ということなのか、『ぞうが死んだ』の音の新バージョンを作ることになった。

『ぞうが死んだ』はいわゆる劇映画ではないが、漠然とした物語は感じられる。セリフはない。イメージの荒々しいつぎはぎに初々しさを感じる。映像自体が音楽的なリズムを持っている。ここでは、映像世界内の状況説明や意味づけといった劇映画で音に求められがちな事柄にはあまり価値がない。そこで、映像と並走する共感覚的な音環境を作るという基本方針を立てた。それに加え、方法論的にシンプルであること、凝りすぎない(考えすぎない)こと、即興的であることを自分自身に求めた。この若々しい映像の強度に耐えうる音はそのようなものだ思った。

酵母や発泡入浴剤から採取したざわめきは、おそらく自家現像されたであろう8ミリフィルムの肌理(grain)への応答。全編に渡るアンビエントな騒音は、この作品のために作成したサラウンド対応の単純な音響プログラム(一種のサンプラー)を用いて生成したもの。金属を打つ音は、川添さん自身が2012年につけたオリジナルの音をほぼ無加工で使用している。冒頭の雰囲気などは、ジョージ・クラムの室内楽や武満徹の『はなれ瞽女おりん』のテーマ曲などを参照した─といっても聴いても分からないだろうが。

また、私が長年蓄積している個人的な音の記録からいくつかの素材を使用した。これは、いわゆる「効果音集」に顕著にみられるような音の安直な擬言語化を回避する戦略のひとつ。つまり、私たちには、「金属を打つ音」、「水の音」などというように音を音源と密接に結びつけて考える習慣があり、さらにはそれが言語に置き換えられるが、音を言語と同一視し、象徴的に捉えるときにこぼれ落ちるものを忘れないための方策として、メカスの「日記映画」的な、具体的な状況下で収録された音響を重視した。

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